「映画好き」だけど「映画詳し」くはないんだ!
「映画が好きです」って自己紹介することがよくある。
実際、映画が好きだ。ほかに好きなものがたくさんあっても、映画は映画として好きだ。ガッツリ1時間半から3時間くらい、気合を入れて物語に集中する行為。見終わった時の程よい満足感。1本見終わるごとに知ってる世界が1つ増えるかのような感覚。
それに映画館っていう場所も好き。高級感と安っぽさが不思議に混ざり合った雰囲気や、ポップコーンの匂いでそこにいる実感を感じる。おでかけ、って感じする。上映前の予告まで含めて楽しむ。1人でいくのも、大切な人といくのも好き。あまり親しくない人といくのでも、やっぱり映画館がいちばんいい。忘れられない思い出もそこにはたくさんある。子どもの頃から、大人になっても、ドキドキする非日常を与えてくれる場所。遊園地ほど遠くなく、公園ほど近くもない。
もちろんDVDを借りてきて家でちょっと贅沢な時間を過ごすのも好き。それ以上がなく、続いて行かない世界。(シリーズ物は別だけど、それでもやっぱりずっとは続いて行かない世界)わたしの日常は死ぬまで続いていくけど、彼らの物語と関われるのはそこまで。関わってる間は、目も耳も感情も支配されて、わたし自身の日常はどこかに置いておける。
だからやっぱり映画が好きだ。
いや、映画「も」好きなのかも。
はじめて会ったときからな~んとなく気になってて、でも積極的に話しかけにいくわけでもなく、というか、人を遠ざけてる印象があって話しかけることができなかった人、過剰に意識してしまっていたのかもしれない人と、先日ガッツリ話す機会があった。
その人は映画が好きなんだって。
うすうす感づいてはいたけれど、彼が嬉しそうに話題に出してくれる映画のほとんどを、見ていなかった。「あれは?」「これは見た?」って一生懸命いろんな作品を挙げてくれるのに、「ごめん、見てないや」「それも見てない~~ごめん~!」って言うしかなかった。「名前は聞いたことあるんだけど」とか、聞きかじった知識披露したりして、言い訳染みたことしちゃったり。
「好き=知識がある」ってわけじゃないの、自分でもわかってるし、そう言って慰めてくれる人もたくさんいると思う。好きなジャンルってものもあるし、みたいな。たくさん知ってなきゃ、名作に触れてなきゃ、好きですって明言しちゃいけないわけじゃない。
でもさ、悔しかったよ~~。
だって、映画には(にも)たくさんいろんなジャンルや作品が溢れてるといえど、彼とわたしは仮にもおんなじものを好きな同志のはずじゃん? わたしがもう少し見識を広げておけば、もっと楽しく盛り上がって映画好き冥利に尽きる、なんてこともあったと思うわけ。
好きな作品をああだこうだ分析したり文句を言い合ったり、好きな個所を言い合ったり、そういうことができたらもっと嬉しかったはずなのにな。
よく考えてみたら、わたしはミーハーでいろんなジャンルをつまみ食いしてばかりで、あんな風に、彼みたいに胸をはって「映画が好きだからそれでいい」って言えちゃうような趣味って持ってないのかもしれない。
漠然となにかについて深く語れる人間になりたい、いつかは、って思っていたけど、まだなにも見つかってないのかなあ。ある程度いろんなジャンルについての浅い話題にならついていけるけど、網羅してるわけじゃないから体系立てて考えたりとか、全体的な総括をしゃべれるわけじゃあない。
だからといって今更、向き合い方を変えようってつもりはないよ。これがわたしの好きになり方だから。でも、このあり方で何かを伝えるやり方を見つけたい。今好きなものについて、もう少しだけ、説明できるくらいには知っておきたい。
やっぱり、受け身のままじゃダメだ。もうすこし能動的になろう。いつまでも「にわか」のままじゃ、胸張って生きていけない。
あと、彼が挙げてた映画をちょこちょこ見ていこうと思ってるけど、これは下心が入ってるので、上の決心とはまた別の話。
う~~道具みたいに使ってごめん! でもやっぱ、映画、好きなんだ!