ようこそ宇宙

僕はパンパカパンツちゃん!

ちょっとモヤっとした

誰がどうとかいう話ではなく。

小学生の頃、母がとても可愛がっていた猫が死んだ時に、わたしは宿題の作文にそのことを書いた。当時の自分の気持ちとかは全然覚えてないし、多分なんにも考えていなかったんだと思う。「たくさん泣いた」と書いた。その作文を読んだ母は、わたしを叱りつけた。「よくこんなことが書けるね」と言った。その時は漠然と、「あ、いけないことだったんだ」と思った。今ならなんで怒るのか、充分すぎるほどわかる。あの時母を傷つけてしまったこともわかる。今じゃわたしもあんなことは絶対したくないし、されたくない。

う~ん、うまく言えない。不謹慎とか、そういう問題じゃなくて。なんだか「死」を利用したように思えてしまうんだよね。別に本人にそのつもりがなくても。

多分、あの時わたしが書いた作文には多少の演出も含まれていたと思うし、同情されたい、共感を呼びたいって気持ちも少なからずあった。読む人がいることを意識して文章を組み立てた時点で、悲しみより冷静さの方が上回っていた。それが、10年後とかだったらまた違ったのかもしれないけど、それを言い出すとじゃあいつからならいいのみたいな話になってきてそれも違うし。

一回、自分の中で受け止めろよって、思っちゃう、かな。当事者じゃない、関係ない人の目に触れさせて感情の変化や感想を仰ぐよりも先に、自分でそのことを受け止めて、消化できてから発信しなさいよって。そして、この場合1日や2日で消化できるようなもんじゃないと思うし。

自分自身が経験してることなのに、しかもそれが大切なことのはずなのに、なんでいきなり客観的な第三者目線で文章なんか書いちゃうのよ。いきなり思い出になんかしないでよ。感動ストーリーみたいに演出しないでよ。

って、思っちゃうし、自分の境遇とも比べちゃうので、あんまり「ペットとの別れ」みたいな記事は読みたくないなあ。もちろん、ブログに書くことでスッキリする人や、それを読んで「私と似たような人もいるんだ」って安心する人がいるのもわかるけれど。

う~ん、わたしは、自分の気持ちとしてイヤだから、書かないなあ。