ブックカバーのジレンマ
ブックカバーについての話。
今年の夏も各社文庫のフェアが盛り上がってる。「カドフェス」「新潮文庫の100冊」「ナツイチ」読みたい本がいっぱいで、展開された棚の前を通るだけでワクワクする。「100冊」なんて銘打たれたら全制覇したくなるし、本を買う時はつい対象品から選ぶようにしちゃう。限定カバーもそそられる!今しか買えない、は悪魔のささやきだ。
さて、黄色地に黒い犬のキャラクターが可愛くて、今年は「カドフェス」に特に注目してるよ。もう何冊か買って積んで慌てて消費中。
カドフェス対象の作品を一冊購入すると、その場でブックカバーがもらえる。一冊でいいんだよ。お得感ある。その場でっていうのも、手に取る理由になりやすい。ブックカバーの柄もそれぞれ可愛くて、集めたくなっちゃうデザイン。
だからもう嬉しくなっちゃって、意気揚々と気に入った一冊を手に取って、ブックカバーを頂いてきたんだ。早速袋から出して、買ったばかりの本に装着。
……う~ん、かわいい! かわいいけど、なんか違う!
わたし、ブックカバーいらないかもしれない!
本を読む前から買って満足してしまうことがあるように、本って媒体としての役割だけじゃなくて「モノ」として人の所有欲を満たすものでもあると思う。本屋で本を選ぶときにも、手に馴染む分厚さ、重さ、手触り、自分の好みに合った装丁のものを優先的に選んでるよなあ。
そんで、わたしが「モノ」として本を可愛がる時には、ブックカバーは必要ないかもしれない。
本を汚したり折り目をつけるのは嫌なんだけど、読み終えた痕跡を本に残したい。簡単に言うと、手垢をつけたい。読み始める前より、本が広がっちゃうのも割と嬉しい。見るだけで読むのが楽しみになるような、ピカピカで宝物みたいだった本が、「読み終わった証拠」みたいに少し色あせるのに満足するんだよなあ~。
だからやっぱりもともと色あせてる古本や、綺麗にコーティングされた図書館の本より、買って読んだ本のほうが「あー、読み終わった―!」って実感が沸くのかもしれない。私の場合。
そんで、友達に「ブックカバーいらなかった」って話をしたら、「ブックカバーつけて読んだ方が、自分の物として所有感感じるよ~」って言われたから、なるほど、手に入れたばかりのブックカバーじゃなくて、ちゃんと手に馴染んだブックカバーだったらそうなのかも、って思った。
じゃあ、ずーっと使えそうなちょっと良いかわいいブックカバーでも探そうかな!革のカバーとか目をつけてるんだよなあ~。
そして、使わないってわかってるのに、ついまた対象の本を買ってブックカバーをもらって帰ってきちゃう。
だってかわいいんだもんな……。